今宮神社【北区紫野】

神社

疫神鎮め

正暦5(994)年に一条天皇が舟岡山にて疫神鎮めの御霊会を行う。
長保3(1001)年に御霊会を行い新たに社殿三宇を造営。「新たに宮」を造営したことが、今宮の名の由来。
疫神社とともに今宮社と号される。

疫神社(摂社)

疫神をまつる疫神社は、本社の鎮座前に祀られたと言われる。

様々な摂社・末社

大将軍社は、平安京の守護神。大徳寺門前に祀られていた。
若宮社は、賀茂斎院ゆかりの社。歴代斎王の霊を祀る。
月読社は、月読命を祀る。
宗像社は、宗像の三女神を祀る。台石の側面に鯰が彫られている。
織姫社は、栲幡千々姫命を祀る。織物の祖神と伝わる。機織りの道具の紡錘の杼の形をした灯籠がある。

玉の輿(お玉・桂昌院)

西陣の商家の娘「お玉」は、徳川綱吉の生母(桂昌院)となり女性としては最高位の従一位に昇った。
この劇的な身分の上昇が「玉の輿」の語源とされる。
お玉は、荒廃した社殿を造営し、今宮社の祭礼「やすらい祭」を復興させた。西陣の発展はもとより、京都の社寺の復興に寄与した。

阿呆賢(あほかし)さん

30cmほどの石。重軽石ともいわれ、掌で3度叩いて持ち上げると重くなり、再度願い事を込めて3度やさしく撫でて持ち上げ軽く感じると願いが成就すると言われる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました