その他

その他

臥牛(北野天満宮)【上京区】

神のお使いが「牛」である理由:① 菅原道真公は、丑年生まれだから。② 北野縁起絵巻に語られる伝説では、延喜3(903)年に、道長公が、大宰府で亡くなった際 「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」と遺言。御遺骸を牛車でお運びする途中で、 車...
その他

松向軒(大茶の井戸)(北野天満宮)【上京区】

松向軒(しょうこうけん): 細川三斎(忠興)が影向松の西に設けた茶室を復元したもので、北野天満宮境内の三茶室(梅交軒・松向軒・明月舎)のひとつである。 天正15(1587)年に、豊臣秀吉が催した「北野大茶湯」で三斎が使用した「三斎井戸」が残...
その他

西陣織会館(村雲御所石碑)【上京区】

村雲御所とは:豊臣秀次の実母の智(とも)は、秀次が高野山で自害し、処刑された子や孫の菩提を弔うために、出家した。帰依していた日蓮宗による寺院を建てようとしたところ、後陽成天皇より嵯峨の村雲(現・二尊院の北側)の寺地と「瑞龍寺」の寺号そして寺...
その他

慶長天主堂跡【上京区】

レオン・パジェス(日本切支丹宗門史):上下両京、伏見、大坂及び北国の五箇所の駐在所に七人の司祭と十人の修道士がいた。公方様(徳川秀忠)は好意を持っていなかったが、さほど敵意を持っていたわけでは無く、大名でなければキリシタンになったところで別...
その他

 一条戻橋【上京区】

一条戻橋:堀川に架けられている一条通の橋で、平安京造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋された。名の由来:延喜18(918)年に、三善清行(きよゆき)の葬列がこの橋を通った際、子の浄蔵(じょうぞう)が棺に...
その他

樂美術館(楽焼家元樂吉左衛門宅跡)【上京区】

樂吉左衞門(らく きちざえもん):安土桃山時代の1500年代より一子相伝で続く、楽焼を製作する京都の陶工(世襲による伝統工芸の継承モデル)で、千家十職(せんけじっしょく)の一つである。 樂美術館: 樂焼の450年の歴史で、樂家歴代が次代の参...
その他

蛤御門【上京区】

蛤御門とは: 新在家御門と言ったが、天明の大火(1788)の際に閉じていた門が開き、「焼けて口あく蛤」にたとえらて蛤御門と呼ばれるようになった。元治元(1864)年に長州軍と薩摩・会津連合軍が御所で衝突した。地図を見る
その他

 清水谷家の椋【上京区】

清水谷家とは: 藤原北家閑院流西園寺家の支流で、羽林家で、家業は、書道、笙、能楽、神楽である。 幕末維新期の公考は、箱館府知事に就任し、榎本武揚率いる旧幕府残党勢力の襲撃の中、政府軍の反撃を指揮して箱館を奪回し、戦後処理をした。争 乱: 来...
その他

西園寺邸跡【上京区】

西園寺家とは: 藤原北家閑院流(閑院太政大臣藤原公季の五世の孫の権大納言藤原公実の四男の権中納言通季を祖)の清華家である。 4代公経が、元仁元(1224)年に洛北の北山山荘に建立した西園寺にちなむ。争 乱: 西園寺公経(きんつね) VS 後...
その他

広南従四位白象【上京区】

広南従四位白象(こうなんじゅしいはくぞう)は:・徳川吉宗が購入した象で、長崎に上陸し、京を経て江戸に向う途中であった。・京都での宿泊場所は、清浄華院(京都市上京区)である。・象といえども無位無官が参内するのは先例のないことが問題となったため...