清水谷家の椋【上京区】

清水谷家とは:

 藤原北家閑院流西園寺家の支流で、羽林家で、家業は、書道、笙、能楽、神楽である。
 幕末維新期の公考は、箱館府知事に就任し、榎本武揚率いる旧幕府残党勢力の襲撃の中、政府軍の反撃を指揮して箱館を奪回し、戦後処理をした。

争 乱:

来島又兵衛(長州藩士) VS 薩摩軍(禁門の変)

どんなことか:

 清水谷家の邸内にあった樹齢300年の椋の木の下で、元治元(1864)年の禁門の変(蛤御門の変)の際、来島又兵衛が討死したと伝わる。
 来島又兵衛は、高杉晋作の奇兵隊内で遊撃隊を組織し、禁門の変に際して蛤御門を入ったこの椋の木の辺りで、薩摩の銃撃隊に胸を撃ち抜かれ自刃した。

結 果:

 長州藩は敗北し朝敵とされ、第一次長州征討を招いた。一方で藩内では倒幕路線が強まり、後の明治維新への転換点となった。

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