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蓮如上人御廟所【山科区】

歴史: 蓮如上人は、晩年を山科の南殿で過ごし、明応8(1499)年3月25日に85歳で入寂した。翌26日に荼毘に付されて、その遺骨がこの地に埋葬された。 明治維新後は官地となったが、明治15(1882)年に明治天皇から「慧燈大師(えとうだい...
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蓮如上人銅像台座跡【山科区】

歴史: 昭和9(1934)年に、高さ10mの大きな銅製の蓮如上人立像が建立された。彫刻家・高村光雲が顧問を務め、建立者は江戸時代の由井正雪の子孫・卯三郎(黒岩淡哉作)である。  昭和19(1944)年に、太平洋戦争の金属供出のため撤去された...
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 だんじょ(談所)の水【山科区】

「男女(だんじょ)」ではない  元禄3(1690)年に、周辺住民が水不足解消のため、日蓮宗・護国寺(山科檀林)の僧侶と一緒になって、用水工事を完成した。 水を地下水路で引いたのが始まりである。 護国寺は、かつて僧侶を育てる学びの場(談所・檀...
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宝ヶ池【左京区】

「宝ヶ池」の名称: もともとは「ため池」や「北浦ため池」と言われていた。 諸説があり ①農民にとって宝物のような価値のある池であったこと。 ②池の形が分銅のようでお金を表すこと。  ③宝暦年間に完成したこと、などの説がある。歴史:  宝ヶ池...
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井出ヶ鼻井堰と水門【左京区】

井出ヶ鼻井堰: 高野川から松ヶ崎に流れる唯一の取水口である。 この水門は洪水調整のため、高野川の水位が高くなると自動で閉鎖し、開門は、流量を調整しながら手動で行う。 水の管理は松ヶ崎水利組合のもとで、農家が当番制で務める水役が行っている。 ...
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松ヶ崎城跡【左京区】

天文5(1536)年に、天文法華の乱で、地元郷民が立て籠もったが、土豪・山本氏と渡辺氏が延暦寺側に寝返り松ヶ崎城を攻め落とした。 『鹿苑日記』には、「松ヶ崎ニ貝吹山トテ城跡アリ コレマタ山本氏斥候ノ所ナリト」という記述されている。「貝吹」と...
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東松ヶ崎の生活用水井戸跡【左京区】

大黒天西の石段下の井戸には、2つの言い伝えが残っている。(子狐死亡事件(言い伝え1)) 狐の子が井戸にはまって死んだ。 親狐が「今後は井戸を掘るな。掘った家は不幸になる。その代わりこの井戸は枯れないようにする。」と告げた。 それから、井戸を...
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狐坂【左京区】

「木摺坂」(きすれざか)から転訛: この山は木が茂って、木が摺れて行き来するのに歩きにくかった「木摺坂」(きすれざか)と呼ばれたのが始まりで、江戸時代の『拾遺都名所図会』や岩倉大雲寺の境界記録古証文には「木列坂」(きつれざか)と記載されてい...
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涌泉寺墓地【左京区】

石川丈山(江戸時代初期:徳川家譜代武士)が京都に隠棲する地を探していた時、松ヶ崎の村人は、「狐坂のほとりに山荘を造るらしい」と聞いた。 村人は「幕府の高官が来ると何かと煩わしいことになる」と考え、狐坂の横に大急ぎで墓石を運び、墓地を作った。...
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桜井水【左京区】

桜井水: 自然石で囲った浅い井戸で、清らかな水が枯れること無く湧き出ている。 上に「南無妙法蓮華経 桜井水」と刻まれた石碑があり、墓参の供え水とする聖域である。拾遺都名所図絵:松崎の西北、岩蔵にいたる坂のまへ、右の道のかたはらに、山の神とな...