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鷹司邸跡【上京区】

鷹司家とは:・藤原北家の嫡流である近衛家の支流として成立した。・五摂家(摂政・関白を輩出した名門)である。・邸宅(屋敷)があった場所で、「鷹に関わる役所・場所の近くに住んでいたこと」から生まれた名称である。争 乱: 久坂玄瑞(長州藩士) V...
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御苑内移築石垣【上京区】

歴 史:義昭と信長に謁見したルイス・フロイスは、今までに見たことがない城、広大で華麗な宮殿と述べた。(石仏や五輪塔など石像仏を集め)わずか70日で建てたと言われている。地下鉄工事で見つかった、旧二条城の石垣の約100体の石仏は、伏見区の安楽...
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旧二条城跡【上京区】

歴 史:永禄2(1559)年に、13代足利義輝が管領斯波氏の屋敷に城を建てた。永禄8(1565)年に、三好三人衆の松永久秀が、義輝を討ち取り、城は焼失した。辞世の句 五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ雲の上まで降りしきる五月雨は、は...
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史跡山科本願寺跡公園【山科区】

概要: 文明10(1478)年から約6年をかけて造営された。 御影堂・阿弥陀堂を中心に43万坪(甲子園球場20個分)ともいわれる広大な寺域で、城塞都市の機能を持ち、平城でありながら近代城郭の要素を含む点は「城郭史上、特筆すべき城郭跡」と評さ...
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奥田家土塁跡【山科区】

奥田家: 西野村の山科郷士・庄屋の家柄で、西宗寺の壇家惣代などをつとめる名家であった。 山科本願寺の「御本寺」の一角に位置し寺内町の遺構として残るわずかな土塁が、奥田家敷地の北と西を囲んでいる。 明和6(1769)年に建築の茅葺の主屋・上ノ...
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山科本願寺土塁跡(山科公園)【山科区】

概要: 寺中広大無辺、荘厳ただ仏国のごとしと言われた。 文明10(1478)年に蓮如上人が建設を始めた、寺内町の周囲を土塁と堀で幾重にも囲んだ防衛施設で、規模は東西800m・南北1kmあった。 しかし天文元(1532)年に武士・法華衆徒の攻...
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蓮如上人御廟所【山科区】

歴史: 蓮如上人は、晩年を山科の南殿で過ごし、明応8(1499)年3月25日に85歳で入寂した。翌26日に荼毘に付されて、その遺骨がこの地に埋葬された。 明治維新後は官地となったが、明治15(1882)年に明治天皇から「慧燈大師(えとうだい...
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蓮如上人銅像台座跡【山科区】

歴史: 昭和9(1934)年に、高さ10mの大きな銅製の蓮如上人立像が建立された。彫刻家・高村光雲が顧問を務め、建立者は江戸時代の由井正雪の子孫・卯三郎(黒岩淡哉作)である。  昭和19(1944)年に、太平洋戦争の金属供出のため撤去された...
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 だんじょ(談所)の水【山科区】

「男女(だんじょ)」ではない  元禄3(1690)年に、周辺住民が水不足解消のため、日蓮宗・護国寺(山科檀林)の僧侶と一緒になって、用水工事を完成した。 水を地下水路で引いたのが始まりである。 護国寺は、かつて僧侶を育てる学びの場(談所・檀...
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宝ヶ池【左京区】

「宝ヶ池」の名称: もともとは「ため池」や「北浦ため池」と言われていた。 諸説があり ①農民にとって宝物のような価値のある池であったこと。 ②池の形が分銅のようでお金を表すこと。  ③宝暦年間に完成したこと、などの説がある。歴史:  宝ヶ池...