足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号
白河天皇勅願寺であった善入寺が前身。
貞和年間(1345-1350)に、夢窓疎石の高弟である黙庵周諭が中興し、足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号「宝筐院」に名を改めた。
明治の初めに廃絶したが、大正6(1917)年に再興される。
回遊式枯山水庭園でモミジ、ドウダンツツジが植栽されている。
足利義詮(よしあきら)・楠正行(まさつら)のお墓が並ぶ
黙庵と正行は生前に親しい付き合いがあり、その縁で首級(しゅきゅう)が葬られた。
後に黙庵に帰依した足利義詮が、正行の人柄を聞き、敬慕してその傍らに自らの墓所をと願った。明治24(1891)、北垣国道が『欽忠碑』(首塚の由来)を建立した。

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