寺名の由来(伝承「平家物語」)
平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、仏御前に寵愛を奪われた。祇王は、母(刀自)・妹(妓女)とともに往生院で隠棲し、やがて仏御前も加わり、女4人でこの地に隠棲した。祇王の名から寺名となる。
明治維新の頃に廃寺
(法然の弟子)念仏房良鎮(りょうちん)が往生院を創建したが、明治維新の頃に廃寺となる。
明治28(1895)年に京都府知事北垣国道が支援して再興された。

祇王が西八条邸に書き残した歌
もえ出(いづ)るも 枯(か)るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはではつべき
(超訳)
新しく清盛に愛された仏御前も、離れる私祇王も、同じ白拍子というはかない生業の女だ。
どの女芸人がパトロンに飽きられず愛され続けられるだろうか、いや、いずれは捨てられる運命だ。

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