(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾【綴喜郡井手町】

その他

(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾:

平城京に都が造営され始めると現在の南山城地方、平城山丘陵より北は、瓦の生産拠点となり、この地方では50基以上の窯跡が見つかった。その中で、南都七寺といわれる奈良の大官大寺(大安寺)の平城京創建時の瓦が発見された。
天平9(747)年の『大安寺伽藍 縁起幷流記資財帳』に記される大安寺所有の「棚倉瓦屋(たなくらかわらや)」に比定されており、この付近に4基以上の瓦窯跡が存在すると想定される。国史跡に指定(2006年)となり、橋梁形式で遺構を保存している。 

大安寺:

大安寺(奈良市内)は、南都七大寺の一寺であり、聖徳太子が(後の)舒明天皇に熊凝(くまごり)寺を国の大寺とするよう述べたことがきっかけといわれている。
舒明天皇(639年)百済大寺(くだらおおでら)
天武天皇(673年)高市大寺(たけちのおおでら)
文武天皇(677年)大官大寺(だいかんだいじ) 大官=天皇、大寺=私寺に対する官寺
聖武天皇(716年)大安寺
と位置・寺名を変え引き継がれた。

史跡の指定:

平安時代の寛仁元(1017) 年に大火災により著しく衰退し、江戸時代半ばには、廃寺となった。
明治 5 (1882) 年に再興が開始され、大正10 (1921) 年に「大安寺塔跡」が史跡指定された。
昭和43 (1968) 年に「史跡大安寺旧境内」が指定面積約26万6千㎡ で寺院地全域が史跡指定された。

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