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その他

二十六聖人関連施設【下京区】

「二十六聖人発祥の地」銘板(京都四条病院の跡地):銘板読みここから400m妙満寺町に1594年フランシスコ会のペトロ・パプティエスタ神父により聖マリア教会・病院・学校・スペイン使節館が建てられた。1597年2月5日に長崎で殉教した26聖人は...
その他

秦家住宅【下京区】

表屋造り:伝統的な商家表棟から奥へ玄関棟・住居棟・土蔵と続き、建物を坪(中)庭と座敷(奥)庭が繋げる形式である。明治2(1869)年に再建(1864年焼失)された。「表屋造り」の京町家(京都市有形文化財)で表構えが間口5間の大店タイプである...
その他

天使突抜【下京区】

天使突抜:五條天神宮(天使の宮)の敷地を貫通して道路が作られたことから、「天使の社を突き抜けて作られた」という意味で名が付けられた。京都の人々が、豊臣秀吉の強引な都市改造を皮肉って「天使突抜」と呼んだという説もある。「突抜」とは、既存の道の...
神社

神田明神【下京区】

神田明神:東京の中心(神田、日本橋、秋葉原など108 町会)の氏神であり、天平2(730)年に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村(将門塚周辺)に創建した。天慶3(840)年の平将門の乱で、将門塚周辺で天変地異が頻発したの...
その他

膏薬辻子(こうやくずし)【下京区】

空也上人による供養:938年に高僧・空也(くうや・こうや)上人がこの地に道場を設け、念仏修行を行っていた。940年に天慶の乱で戦死した平将門の首が京都で晒された後、天変地異が相次いだため、空也上人が道場の一角に塚(京都神田明神)を建てて供養...
その他

郭巨山(かっきょやま)会所

郭巨山会所:明治40年から利用されているが、四条通沿いにあることから、(構造・防火)建て直しが困難であった。そこで、「京都市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」を活用し、会所自体に文化的価値があり、建築基準法適用除外とされることで、同等...
その他

小結棚町(こゆいだなちょう)会所【中京区】

小結棚町:こむすびだな・こゆいだな小結ゑぼし(烏帽子)を作る職人がいたことに由来小結烏帽子:折烏帽子(おりえぼし)の巾子(こじ)の下部左右に穴をあけ、髻(もとどり)に結んだ小紐(こひも)を引き出した烏帽子放下鉾: 放下とは禅語で「ほうげ」と...
その他

百足屋町【中京区】

2つの百足屋町(むかでやちょう):百足屋という豪商があり、莫大なお金を寄付して、町内の山車を作り祇園祭を支えていた。 京都市内には、2つの百足屋町 ①「新町通」を挟む両側町・・・鉾を出す鉾町 ②「夷川通」を挟む両側の町・・家具店が並ぶがある...
その他

茶屋四郎次郎邸跡【中京区】

茶屋四郎次郎:当主は代々「茶屋四郎次郎」を名乗る。 初代清延「本能寺の変」の時に大坂にいた徳川家康にいち早く報せて脱出を助けた(伊賀越え)。・呉服御用、朱印船貿易、糸割賦商人で財をなした。 糸割符とは、中国産生糸の輸入を統制し銀の国外流出を...
お寺

南蛮寺跡【中京区】

南蛮寺(正式名称「被昇天の聖母教会」)の歴史:耶蘇会(イエズス会)が四条坊門姥柳(うばやなぎ)町に建立し、京都でのキリスト教と南蛮文化の中心となった。永禄2(1559)年(戦国末期)に京都でのキリスト教布教が本格化永禄4(1561)年に礼拝...