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その他

大河内山荘【右京区嵯峨野】

大河内傳次郎が別荘として造営 大河内傳次郎(昭和の時代劇俳優)が、別荘として造営した回遊式庭園。① 約2万平方メートルの敷地で比叡山や嵐山、保津峡の景色を借景している。② 64歳で亡くなるまでの30年間、自ら設計して私財を投じて作られた。③...
お寺

大悲閣千光寺【西京区嵐山】

角倉了以が建立慶長19(1614)年に、角倉了以が大堰川(保津川)の開削工事で、亡くなった人々を弔うために嵯峨野離宮にあった千光寺を移築し、建立した。「大悲閣」とは切り立った岩肌に建つ観音堂を指す。地図を見る
その他

大堰(おおい)離宮

桓武天皇が行幸した離宮1988年の発掘調査で、平安時代前期の建物に付随する園池跡が発見された。嵐山は景勝地として知られており、船遊びや詩歌管絃を楽しんだ。大堰の邸(源氏物語「松風」の舞台)光源氏が明石の君に上洛を促すが応じてもらえず、明石の...
お寺

滝口寺【右京区嵯峨】

法然の弟子である念仏房良鎮(りょうちん)が創建した往生院の子院三宝院跡。昭和初期の再興にて寺号として選ばれた。伝承①「太平記」斎藤時頼と横笛 平清盛の家臣で滝口の武者・斎藤時頼(ときより)は清盛邸で建礼門院の雑仕女・横笛の舞姿にみとれ結婚を...
その他

角倉了以像

京都の豪商(略歴)安土桃山時代から江戸時代初期にかけての京都の豪商。海外貿易家および土木事業家。1554年に京都嵯峨で生まれる。 本名は吉田与七、諱は光好(了以は法号)。1614年に亡くなる。(功績)豊臣秀吉や徳川家康から朱印状を得て、安南...
その他

津崎村岡局像

幕末の勤王家で、近衛家の老女本名は津崎矩子(つざき のりこ)という。1786年に嵯峨に生まれた幕末の勤皇家。(経歴)1798年から近衛家(近衛忠熙(このえただひろ))に仕え、老女(女官の責任者)となり村岡局と呼ばれた。水戸藩や薩摩藩の勤王派...
お寺

天龍寺【右京区嵯峨】

足利尊氏が開創足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るため、亀山殿(後嵯峨上皇)の地に開創した。暦応2(1339)年に夢窓疎石が、暦応資聖禅寺と称して開山した。暦応4(1341)年 尊氏の弟直義の金龍の夢に由来して、天龍資聖禅寺と改める。  天龍寺...
お寺

二尊院【右京区嵯峨】

円仁(慈覚大師)が建立承和年間(834-848)に嵯峨上皇の命で円仁(慈覚大師)が、天台・真言・律・浄土の兼学寺院として、二尊教院華台寺(けだいじ)した。応仁・文明の乱で焼失した。永正年間(1504-1521)に三條西実隆父子の援助で、広明...
お寺

宝筐院【右京区嵯峨】

足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号白河天皇勅願寺であった善入寺が前身。貞和年間(1345-1350)に、夢窓疎石の高弟である黙庵周諭が中興し、足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号「宝筐院」に名を改めた。明治の初めに廃絶したが、大正6(1917...
神社

野宮神社【右京区嵯峨野】

伊勢斎宮の潔斎所の跡 斎宮とは天皇の代替わりごとに未婚皇族女性が選ばれ、伊勢神宮に仕える。約600年間(飛鳥時代から南北朝)で60人以上の皇女が斎宮となる。(大覚寺から清凉寺あたりの)北嵯峨と(天龍寺あたりの)下嵯峨の間の「野」にある宮であ...