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お寺

東寺(南大門)【南区】

南大門(重要文化財)東寺に現存する門の中で最大の門であるが、明治元(1868)年に廃仏毀釈の際に焼失したので、明治28(1895)年の東寺創建1100年に際して、慶長6(1601)年に建てられた蓮華王院(三十三間堂)の西門を移築した。幅は約...
お寺

東寺(東大門・不開門)【南区】

東大門(重要文化財)、不開門(あかずのもん)とも言う 後醍醐天皇に敗れたが、再度上洛した足利尊氏は、南朝方の軍勢が糺の森、賀茂川、桂川、六条大宮などでの激しく攻めるので、軍勢を東寺に退却して本陣とした。  新田義貞率いる二万の軍勢が大宮通り...
お寺

東寺(慶賀門)【南区】

遊びの来られるお稲荷さん823年に、嵯峨天皇より空海は東寺を与えられた。それを聞いた、あごひげをはやして白装束の稲荷大明神は、ふたりの婦人と子どもを伴って東寺に出向いた。空海は、2階建ての楼門である南大門で、もてなしの品として餅や粟を置き、...
その他

長岡京駅(神足駅)【長岡京市】

JR長岡京駅の前身は神足駅でその駅名は、地域の地名「神足」に由来している。駅の設置にあたっては、地元住民が土地を寄付し、工事費の半額を負担するなどの運動を行なった。その結果、昭和6年(1931)年8月1日に、日本国有鉄道東海道本線の向日町駅...
その他

神足遺跡【長岡京市】

概要・小畑川と犬川に挟まれた標高約20mの段丘の上に立地している。・旧石器時代から近世までの複合遺跡である。・特に弥生時代中期(BC1世紀〜DC1世紀前半)を中心として、拠点的集落遺跡となっている。形状集落の周囲に環濠を巡らし、内側には、竪...
神社

神足神社【長岡京市】

延喜式の乙訓十九座「神足神社」と伝わり、斉衡元(854)年に官社となる。12世紀の頃、小野宮領内荘園「神足園」にあったと伝わる。明治5(1872)年に、東海道本線の建設により現在地に移る。明治10(1877)年に、村社に列せられる。旧神足村...
その他

勝龍寺城(勝竜寺城公園)【長岡京市】

陸運としての西国街道、また河運として小畑川・犬川の合流点であることから、交通の要衝であり、南北朝時代から江戸時代初期にかけての城が築かれた。付近にある勝龍寺に由来する名前である。安土城に先行する「瓦・石垣・天守」を備えた城となっている。沿革...
お寺

勝龍寺【長岡京市】

大同年間(806〜810)に、空海が「青龍寺」として嵯峨天皇の勅願により創建とされ、観音堂の他に99坊が建てられていた。 応和2(962)年に、千観上人が、「祈祷で雨を降らして、龍神に勝った」ことからにより「勝龍寺」と改められた。三代目の梵...
神社

八大神社【左京区一乗寺】

もとは一乗寺村の産土神であったが、永仁2(1294)年に、祇園八坂神社よりご祭神を勧請した。応仁の乱により焼失し、慶長元(1596)年に再建される。明治6(1873)年に藪里牛頭天王社と、明治7(1874)年に舞楽寺八大天王社と合祀され、八...
その他

奥渓家住宅【上京区】

奥渓家とはキリシタン大名大友宗麟の孫奥渓以三の家系。奥渓以三は、後水尾天皇の中宮東福門院の侍医をし、家伝漢方薬「根本蘇命散(そめいさん)」の製造販売をおこなった。この奥渓家住宅は、下屋敷として利用されていた。地図を見る