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お寺

光明院【東山区】

重森三玲が作庭臨済宗東福寺派。本尊は釈迦如来。明徳2(1391)年に金山明昶禅師が創建したが、明治の廃仏毀釈により荒廃した。方丈の前庭は、昭和14(1939)年に重森三玲氏が作庭した。池泉式枯山水庭園で背後にサツキやツツジの刈り込みを設け、...
お寺

鹿王院【右京区嵯峨】

足利義満の延命を祈願臨済宗天龍寺派。本尊は釈迦如来、十大弟子。義満が24歳の時、伽藍を建立すれば寿命が延びるとの夢告を受けたことから、康暦2(1380)年に創建した覚雄山宝幢寺の開山塔所である。開山は春屋妙葩。開山堂のまわりに野鹿が集まった...
神社

今宮神社【北区紫野】

疫神鎮め正暦5(994)年に一条天皇が舟岡山にて疫神鎮めの御霊会を行う。長保3(1001)年に御霊会を行い新たに社殿三宇を造営。「新たに宮」を造営したことが、今宮の名の由来。疫神社とともに今宮社と号される。疫神社(摂社)疫神をまつる疫神社は...
お寺

金福寺【左京区一乗寺】

与謝蕪村が何度も訪れたお寺臨済宗南禅寺派。山号は佛目山。平安時代初期に安恵(あんね)僧都が円仁(慈覚大師)の意志によって創建。与謝野蕪村が寺を訪れた松尾芭蕉を偲んで「芭蕉庵」を再興蕪村の墓庭園西側から石段を上がったところに芭蕉庵。更に上がれ...
お寺

本法寺【上京区】

鍋かんむりの日親永享8年に日親が四条高倉に建立。日親は「立正治国論」を著し、足利義教に「禅」を捨てるように直言し、逆鱗に触れて投獄される。灼熱の鍋を頭に被せられるほどの拷問を受けたと言われる。本阿弥光悦の曽祖父との出会い本阿弥清信(光悦の曽...
お寺

南禅寺金地院【左京区南禅寺】

本堂(方丈)は伏見城もしくは大坂城の遺構応永年間に南禅寺六十八世大業徳基が足利義持の帰依を受けて鷹峯に建立。慶弔10(1605)年に以心崇伝が現在地に移築して再興。本堂(方丈:重要文化財)は伏見城もしくは大坂城の遺構とも言われている。方丈北...
お寺

妙心寺退蔵院【右京区花園】

ひょうたんとナマズの画応永11年に千本松原に無因宗因により開山し、妙心寺三十四世亀年禅愉が現在地に再興。門の屋根瓦にひょうたんとナマズの意匠が施されている。大玄関は「袴腰の玄関」と呼ばれ破風の曲線が直線となって結ばれた珍しい形。袴の腰の部分...
お寺

三室戸寺【宇治市】

親鸞聖人の父の墓宝亀年間、莵道山の志津川で観音が出現。光仁天皇が御室を移し、観音を祀る御室戸寺が起こり。天正元年、足利義昭に協力したため織田信長の焼き討ちにあう阿弥陀堂は、親鸞聖人の父(日野有範)の墓。娘(覚信尼)が墓の上に建立。境内地50...
お寺

楊谷寺【長岡京市】

眼病平癒清水寺を開山した延鎮僧都が柳(楊)の茂る渓谷で十一面千手千眼観音菩薩像を発見し、そこで一宇を建てたことが始まり。乙訓寺別当の空海(弘法大師)が何度も参詣し、独鈷で岩窟を開き霊水を成就。子猿のつぶれた眼を洗う親猿の姿に、空海が祈祷を施...
お寺

法金剛院【右京区花園】

花園の地名の由来となった別荘右大臣清原夏野の別荘には、珍草奇花が植えられていたことが花園の名の由来です。その死後、双丘寺が創建、文徳天皇により天安寺が建立。衰退の後、鳥羽上皇の中宮、待賢門院璋子が法金剛院として復興する。仏殿に安置された仏様...