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東寺(金堂)【南区】

金堂(国宝)位置や規模が創建当時のままで、諸堂の中で最初に建設が始まる。空海に下賜された弘仁14(823)年頃には完成した。現在の金堂は、慶長8(1603)年に豊臣秀頼が再建しており、和様・唐様・天竺様を折衷した桃山時代の仏寺建築となってい...
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東寺(五重塔)【南区】

55mの5重塔で5代目(国宝)我が国で最大の五重塔、4回焼けて5代目であり、現在の塔は徳川家光が正保元(1644)年に再建したもの。大日如来に見立てた心柱を初層まで通し、柱の四面を背に金剛界四如来が座り、脇侍に八大菩薩、四天柱には金剛界と胎...
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東寺(鎮守八幡宮)【南区】

本尊の八幡三神像(国宝)一本の霊木から3神を造り出したという神像彫刻の最古の作例の1つとなる。延暦15(796)年に(東寺創建)王城鎮護のため創建された。明治元(1868)年に焼失したが、平成3(1991)に再建された。薬子の変(弘仁元(8...
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東寺(南大門)【南区】

南大門(重要文化財)東寺に現存する門の中で最大の門であるが、明治元(1868)年に廃仏毀釈の際に焼失したので、明治28(1895)年の東寺創建1100年に際して、慶長6(1601)年に建てられた蓮華王院(三十三間堂)の西門を移築した。幅は約...
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東寺(東大門・不開門)【南区】

東大門(重要文化財)、不開門(あかずのもん)とも言う 後醍醐天皇に敗れたが、再度上洛した足利尊氏は、南朝方の軍勢が糺の森、賀茂川、桂川、六条大宮などでの激しく攻めるので、軍勢を東寺に退却して本陣とした。  新田義貞率いる二万の軍勢が大宮通り...
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東寺(慶賀門)【南区】

遊びの来られるお稲荷さん823年に、嵯峨天皇より空海は東寺を与えられた。それを聞いた、あごひげをはやして白装束の稲荷大明神は、ふたりの婦人と子どもを伴って東寺に出向いた。空海は、2階建ての楼門である南大門で、もてなしの品として餅や粟を置き、...
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勝龍寺【長岡京市】

大同年間(806〜810)に、空海が「青龍寺」として嵯峨天皇の勅願により創建とされ、観音堂の他に99坊が建てられていた。 応和2(962)年に、千観上人が、「祈祷で雨を降らして、龍神に勝った」ことからにより「勝龍寺」と改められた。三代目の梵...
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華開院【上京区】

正元2(1260)年に、後深草天皇の皇子(光岸法達親王)が、天台宗寺院として大宮五辻(現・華開院町)に建立し、「五辻御所」と呼ばれた。弘安10(1287)年に、向阿証賢(後の清浄華院第5世)が隠遁、浄土宗寺院として中興する。応仁の乱(146...
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地福寺(日限薬師)【上京区】

弘仁年間(810-824年)に嵯峨天皇の勅許にて、僧真済が葛野郡安井村に創建した。享保年間に道空が、関白鷹司公の病気平癒したことから、享保12(1727)年に現在地に移転した。以来、道空の念持仏であった薬師如来が本尊となった。日限(ひぎり)...
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極楽寺【上京区】

金谷水(きんこくすい)又は勝井戸(かちいど)山号に由来する名水で、天正15(1587)年の豊臣秀吉が行った北野大茶会に使用したと伝わる。また、勝井戸とも呼ばれ、飲むと勝負事に勝つと言われている。両小袖門(出水七不思議)通常1つである小袖門(...