お寺

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南蛮寺跡【中京区】

南蛮寺(正式名称「被昇天の聖母教会」)の歴史:耶蘇会(イエズス会)が四条坊門姥柳(うばやなぎ)町に建立し、京都でのキリスト教と南蛮文化の中心となった。永禄2(1559)年(戦国末期)に京都でのキリスト教布教が本格化永禄4(1561)年に礼拝...
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大徳寺龍源院【北区紫野】

寺歴文亀・永正年間(1501-21)に畠山義元・大友義長が創建した。東溪宗牧(とうけいそうぼく)が開祖で、当初は霊山一枝軒と称された。永正11(1514)年頃 本堂(重用文化財)が建立大徳寺南派の本庵方丈(重要文化財)中世の客殿遺構の代表例...
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将軍塚青龍殿【山科区厨子奥】

青蓮院の飛地境内天台宗三門跡の一つである青蓮院の飛地境内であり、青龍殿は、国宝「青不動明王二童子像」を祀るための建物。 平成10(1998)年に京都北野天満宮前の警察の柔剣道場であった「平安道場」を移築し、再建したもの。新たに木造大舞台が設...
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東寺(金堂)【南区】

金堂(国宝)位置や規模が創建当時のままで、諸堂の中で最初に建設が始まる。空海に下賜された弘仁14(823)年頃には完成した。現在の金堂は、慶長8(1603)年に豊臣秀頼が再建しており、和様・唐様・天竺様を折衷した桃山時代の仏寺建築となってい...
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東寺(五重塔)【南区】

55mの5重塔で5代目(国宝)我が国で最大の五重塔、4回焼けて5代目であり、現在の塔は徳川家光が正保元(1644)年に再建したもの。大日如来に見立てた心柱を初層まで通し、柱の四面を背に金剛界四如来が座り、脇侍に八大菩薩、四天柱には金剛界と胎...
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東寺(鎮守八幡宮)【南区】

本尊の八幡三神像(国宝)一本の霊木から3神を造り出したという神像彫刻の最古の作例の1つとなる。延暦15(796)年に(東寺創建)王城鎮護のため創建された。明治元(1868)年に焼失したが、平成3(1991)に再建された。薬子の変(弘仁元(8...
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東寺(南大門)【南区】

南大門(重要文化財)東寺に現存する門の中で最大の門であるが、明治元(1868)年に廃仏毀釈の際に焼失したので、明治28(1895)年の東寺創建1100年に際して、慶長6(1601)年に建てられた蓮華王院(三十三間堂)の西門を移築した。幅は約...
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東寺(東大門・不開門)【南区】

東大門(重要文化財)、不開門(あかずのもん)とも言う 後醍醐天皇に敗れたが、再度上洛した足利尊氏は、南朝方の軍勢が糺の森、賀茂川、桂川、六条大宮などでの激しく攻めるので、軍勢を東寺に退却して本陣とした。  新田義貞率いる二万の軍勢が大宮通り...
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東寺(慶賀門)【南区】

遊びの来られるお稲荷さん823年に、嵯峨天皇より空海は東寺を与えられた。それを聞いた、あごひげをはやして白装束の稲荷大明神は、ふたりの婦人と子どもを伴って東寺に出向いた。空海は、2階建ての楼門である南大門で、もてなしの品として餅や粟を置き、...
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勝龍寺【長岡京市】

大同年間(806〜810)に、空海が「青龍寺」として嵯峨天皇の勅願により創建とされ、観音堂の他に99坊が建てられていた。 応和2(962)年に、千観上人が、「祈祷で雨を降らして、龍神に勝った」ことからにより「勝龍寺」と改められた。三代目の梵...