天文5(1536)年に、天文法華の乱で、地元郷民が立て籠もったが、土豪・山本氏と渡辺氏が延暦寺側に寝返り松ヶ崎城を攻め落とした。
『鹿苑日記』には、「松ヶ崎ニ貝吹山トテ城跡アリ コレマタ山本氏斥候ノ所ナリト」という記述されている。「貝吹」という表現から、連絡用の城であったと推測される。
天正元(1573)年に、将軍・足利義昭が織田信長に対し挙兵した際に山本氏は義昭に呼応したため岩倉を失い没落した。松ヶ崎城の存続時期は不明である。

松ヶ崎は240年の間に4度、兵火により焼失している。
Ⅰ 南北朝期(1330年頃)の焼失は、『太平記』に戦火で焼かれた旨が記録されている。
Ⅱ 寛正4(1463)年の焼失は、寛正の飢饉に伴う土一揆による。土一揆が発生し、幕府軍により 焼失した。
Ⅲ 天文5(1536)年の焼失は、天文法華の乱によるもので、比叡山の僧兵が日蓮宗寺院を襲撃し、全村改宗していた松ヶ崎を真っ先に焼き討ちされることとなった。村人は岩倉へ逃げたとの記録がある。
Ⅳ 元亀元〜2(1570〜1571)年の焼失は、織田信長の比叡山焼き討ち前後で、浅井・朝倉勢の一部が近郊に出没し、松ヶ崎が被害を受ける。



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