南山城水害水難記念碑【綴喜郡井手町】

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南山城水害:昭和28年災害

昭和28(1953)年8月14日~8月15日に、京都府南部(綴喜郡及び相楽郡)で、集中豪雨が原因となって木津川の支流で発生した水害のこと。
南山城地域は、南下してきた寒冷前線が停滞し集中豪雨に襲われ、400ミリを超える記録的雨量であった(「集中豪雨」という用語は、この新聞報道が初出しと言われる)。

井手町では、低地での浸水が始まり、玉川下流の右岸(北側)で順に越流・決壊、また玉川上流にある「大正池」と「二ノ谷池」が決壊。山津波が発生し、玉川上流でさらなる決壊が発生し、土石流が引き起こされ、甚大な被害に見舞われた。 

南山城水害の被害:

井手町での被害は、南山城地域の中でも最大の被害である。
・死者106名、負傷者431名、住宅被害953棟(4,729人)
・国鉄奈良線の玉水駅舎が流失した。
・木津川に架かる玉水橋が橋脚ごと流失した。
なお、玉水駅付近は、木津川、玉川堤防、南谷川堤防で囲まれており、排水が進まず復旧が遅れた。

玉水駅東口にある水難記念(碑):

重さ約6トンの巨石で、500メートル東南の玉川から押し流されたもので、当時の土石流の威力を記憶として残すものである。
昭和56(1981)年11月に設置され、平成29(2017)年の駅舎改修工事でも住民からの強い要望で残された。

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