橘諸兄公旧跡の碑【綴喜郡井手町】

その他

橘諸兄公旧跡の碑:

橘諸兄の館の跡の石碑、橘諸兄の供養塔、奈良郡山市観光協会が植えた橘の木がある。
橘諸兄は、西暦756年に引退し、757年に薨去(聖武天皇崩御の翌年)した。享年74歳であった。

橘諸兄の死後の橘氏:

天平勝宝9(757)年に、藤原仲麻呂に対する諸兄の子奈良麻呂による反乱計画が露見し、排除される(橘氏は力を失う)。
弘仁6(815)年に、奈良麻呂の孫嘉智子が嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)となり、後の仁明天皇を生む(再び脚光)。
 また、嘉智子のいとこ逸勢(はやなり)は、三筆の一人(嵯峨天皇・空海)でもある文化人であったが、842年に、橘逸勢は承和の変の首謀者の一人とされて処罰された。
 その後、橘氏は、中央政界から離れるが、地方豪族として活躍した。

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