百足屋町【中京区】

その他

2つの百足屋町(むかでやちょう):

百足屋という豪商があり、莫大なお金を寄付して、町内の山車を作り祇園祭を支えていた。
 京都市内には、2つの百足屋町
 ①「新町通」を挟む両側町・・・鉾を出す鉾町
 ②「夷川通」を挟む両側の町・・家具店が並ぶ
がある。

百足屋町の名の由来:

 新町通は室町通と並んで呉服商が集まっており、客も商人も足しげく商家に「足を運んでいた」、
言い換えれば「お金を運んだ」といえる。
 ムカデは、足がたくさんあり、客足が多いこと、つまり商売繁盛を願って、屋号「百足屋」をつけた。

百千足(ももちたる)館:

建物内部は、和装小物の販売、結婚式場であり、2Fには能舞台がある。
応神天皇の御製(古事記・日本書紀)「千葉の葛野(かずの)を見れば
 百千(ももち)足る 家庭(やには)も見ゆ  国の秀(ほ)も見ゆ」
(右京区嵯峨<葛野>を遥か見渡せば、満ち満ちた人家の営みや国の優れた様子が見えるという意)
にちなんだネーミングっとなっている。

百足屋:

京町屋を復元したおばんざい専門の料理店であり、通り庭、おくどさんなどの空間、高い吹き抜けが町家のままである。

南観音山:

 御神体は、楊柳観音と善財童子である。
 楊柳観音像は恵心僧都源信(942 – 1017)の作と伝わっている。しかし天明の大火(1788年)で像の頭部以外は焼失し、復元されたものである。
 善財童子(ぜんざいどうじ)像は江戸時代の作である。華厳経「入法界品(にゅうほっかいぼん)」にある、善財童子が53名の善知識(正しい教えを示してくれる師や仲間)を訪ね歩くことに由来する。
 → 悟りへの道は一つではなく、すべての人が自らの立場で仏の教えを実践できる

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