「二十六聖人発祥の地」銘板(京都四条病院の跡地):銘板読み
ここから400m妙満寺町に1594年フランシスコ会のペトロ・パプティエスタ神父により聖マリア教会・病院・学校・スペイン使節館が建てられた。
1597年2月5日に長崎で殉教した26聖人は同神父をはじめ5名のフランシスコ会士と3名の日本人イエズス会士及び17名の日本人信者で殆どここで活動した人であった。
ここに建設された聖アンナおよび聖ヨセフ病院は京都最初の西洋式のもので貧しい人が多数収容された。
ここに26聖人を顕彰するとともに救貧急病の社会事業が行われたことを記念して銘板を掲げる。

妙満寺跡・二十六聖人発祥之地」石標:
1594年にフランシスコ会のパプチスタ神父等がルソンの使節として上京し、秀吉から妙満寺跡地を与えられて修道院・病院を建設した。
1596年の「サンフェリッペ号事件」を機にキリスト教徒が弾圧を受け、洛中引き回しの後に長崎で磔刑に処せられ、26聖人が殉教する。
サン・フェリッペ号事件:
文禄5(1596)年に、土佐で漂着したスペインの商船サン・フェリペ号の乗組員の発言が問題となった事件である。
「何故スペインが広大な領土を持つにいたったか」と問うと、「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。まず、その土地の民を教化し、信徒を内応させて、兵力により征服する」と答えたため、秀吉はキリスト教の大規模な弾圧に踏み切った。

フランシスコの家:
1594年にパプチスタ神父により修道院・病院が建設された跡地であり、また耳を削がれた26聖人が処刑地である長崎までの800キロを歩き出したこの地に、人々が憩える場所として、また祈りの場所が設けられた。
キリシタン灯籠が置かれている他に26聖人が通過した地名が刻まれている。


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