円仁(慈覚大師)が建立
承和年間(834-848)に嵯峨上皇の命で円仁(慈覚大師)が、天台・真言・律・浄土の兼学寺院として、二尊教院華台寺(けだいじ)した。
応仁・文明の乱で焼失した。
永正年間(1504-1521)に三條西実隆父子の援助で、広明恵教(こうみょうえきょう)が復興した。
また総門は、角倉了以が伏見城の薬医門を移築した。
明治以降は天台宗となった。
発遣と来迎の釈迦如来
発遣(ほっけん:死者を送り出すこと)の釈迦如来と来迎(死者を浄土に招き迎えること)の阿弥陀如来の二体の本尊が寺名の由来。

法然廟
法然上人の遺骸を天台宗の僧兵に奪われないため、六波羅探題の武士に護られて移送し一時的に祀った。
小倉百人一首ゆかりの地
藤原定家が、小倉百人一首を作成した、小倉山荘「時雨亭」跡推定地とされる。
*常寂光寺(二尊院の南)にも推定地あり
『小倉山 しくれの頃の 朝な朝な 昨日はうすき 四方の紅葉葉 』
小倉山に時雨が降る頃、周囲の紅葉は朝ごとに濃くなってゆき、昨日見た美しい色も今日はさらに深まっている。


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