その他

津崎村岡局像

幕末の勤王家で、近衛家の老女本名は津崎矩子(つざき のりこ)という。1786年に嵯峨に生まれた幕末の勤皇家。(経歴)1798年から近衛家(近衛忠熙(このえただひろ))に仕え、老女(女官の責任者)となり村岡局と呼ばれた。水戸藩や薩摩藩の勤王派...
お寺

天龍寺【右京区嵯峨】

足利尊氏が開創足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を祈るため、亀山殿(後嵯峨上皇)の地に開創した。暦応2(1339)年に夢窓疎石が、暦応資聖禅寺と称して開山した。暦応4(1341)年 尊氏の弟直義の金龍の夢に由来して、天龍資聖禅寺と改める。  天龍寺...
お寺

二尊院【右京区嵯峨】

円仁(慈覚大師)が建立承和年間(834-848)に嵯峨上皇の命で円仁(慈覚大師)が、天台・真言・律・浄土の兼学寺院として、二尊教院華台寺(けだいじ)した。応仁・文明の乱で焼失した。永正年間(1504-1521)に三條西実隆父子の援助で、広明...
お寺

宝筐院【右京区嵯峨】

足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号白河天皇勅願寺であった善入寺が前身。貞和年間(1345-1350)に、夢窓疎石の高弟である黙庵周諭が中興し、足利義詮(室町幕府二代将軍)の院号「宝筐院」に名を改めた。明治の初めに廃絶したが、大正6(1917...
神社

野宮神社【右京区嵯峨野】

伊勢斎宮の潔斎所の跡 斎宮とは天皇の代替わりごとに未婚皇族女性が選ばれ、伊勢神宮に仕える。約600年間(飛鳥時代から南北朝)で60人以上の皇女が斎宮となる。(大覚寺から清凉寺あたりの)北嵯峨と(天龍寺あたりの)下嵯峨の間の「野」にある宮であ...
その他

有智子内親王墓【右京区嵯峨】

初代の賀茂斎院大同2(807)年  生まれる。嵯峨天皇の第八皇女。  ① 初代の賀茂斎院(弘仁元(810)年 4歳で任命)  ② 優れた文才   経典や史書に精通し漢詩文及び和歌に長ける。  ③ 詩才により評価 七言律詩を詠み、嵯峨天皇より...
その他

落柿舎【右京区嵯峨】

名の由来向井去来(芭蕉の弟子)の別荘。元禄2(1689)年頃、庭に40本の柿の木があり、商人が、柿を一貫文を出して買い求めた。去来は売る約束をして代金を受け取ったが、その夜、嵐が吹き、柿がすべて落ちた。翌朝、商人がこの有様に返金を頼み、柿の...
お寺

長楽寺【東山区円山】

伝教大師最澄が創建時宗。山号は黄台山。本尊は、准胝観音。寺伝では、伝教大師最澄が唐からの帰朝の折に暴風雨に見舞われたとき「南無観世音菩薩」と唱えると2頭の龍神が頭に観世音をのせて現れ無事に帰国できた。大師がその姿を彫刻して本尊としたとのこと...
お寺

大報恩寺(千本釈迦堂)【上京区】

本堂(国宝)真言宗智山派。山号は瑞応山。御本尊は釈迦如来。安貞元(1227)年 義空(奥州藤原秀衡の孫)により開創した。本堂は、創建時のままであり、国宝。京都市に現存する最古の木造建築である。応仁・文明の乱では、東西両軍から庇護を受けていた...
神社

日向大神宮【山科区日ノ岡】

京都のお伊勢さん第23代顕宗天皇の御代(485-487)に創建された伝わる。天智天皇が神田を寄進し、鎮座の山を日御山と名付けた。徳川家康が社領を寄付、後水尾天皇等からも寄進があり社殿が再興された。明治維新までは、粟田口神明宮や恵美須谷神明宮...