東寺(宝蔵)【南区】

お寺

宝蔵(重用文化財):

桁行三間梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
創建は不明(平安時代後期)とされている。最初は、南北二宇であった。
火災で焼失し、南側の宝蔵のみ現存する。北側には礎石のみ残る。
なお南側の宝蔵は、南向きの扉に改造された。
宝蔵の床材は全部板扉の転用と思われるが、長さは建物の大きさに合致している。
瓦については、南西側(およそ全体の四分の1)に平安時代のものが残る。
また宝物を保管していたことから、何度も盗難被害を受け、そのことから後に周辺に堀を設けた。

火災と盗難:

長保2(1000)年 累火により南北宝蔵が焼失する。
南宝蔵の宝物は取り出されて無事だった(北宝蔵は、主として古文書を包蔵)。
大治2(1127)年 炎上
永禄7(1564)年 盗難を受けた時、内扉に焼き切った跡が残る。

宝蔵の堀:

盗難被害を防ぐために、堀が設置された。かつて堀の水は、大宮川から北側の堀に水を引き込み、そこからから宝蔵の堀に水を引き込んだ。

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