平安通志と大極殿遺址碑の碑文に関与:
湯本文彦は「府治志(北垣国道が知事に就任してからの府政を記録)」や「京都府寺志(京都府の社寺志の編纂)」を担当した経緯により、平安遷都千百年紀年事業として、「平安通志」と言われる平安遷都から明治に至るまでの京都の歴史を通覧する全60巻20冊から成る歴史書を編纂した
また紀年祭の事業として、模造大極殿(もぞうだいごくでん)を千本丸太町付近に建設することを提案したが、第4回内国勧業博覧会会場に隣接して建設(平安神宮)され、千本丸太町には大極殿遺址碑が建立されその碑文を執筆した

略 歴:
天保14(1843)年に鳥取にて士族の長男として生まれる
明治20(1887)年に京都府に採用
明治26(1893)年に第4回内国勧業博覧会事務委員・遷都記念祭京都府委員に就任し「平安通志」編纂を建議した
明治28(1895)年に平安通志が刊行した
明治29(1896)年に大極殿遺址が竣工した
明治32(1899)年に京都府名勝旧蹟保存委員に任じられる
明治42(1909)年に京都帝室博物館学芸委員を委嘱
大正4(1915)年に京都府を辞任した
大正10(1921)年に死去(78歳)した



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