宗派:
日蓮宗
創建:
大正7(1918)年に本涌寺と妙泉寺との合併による。 本涌寺を引継ぐ。
本涌寺の由緒:
天正2(1574)年に日生(にっしょう)が法華の学問所を設立した。松ヶ崎檀林といわれ、全国から学徒が集まる。
承応3(1654)年に東福門院の女院御所造営の残木を拝領して講堂等を改築した(現在の本堂(踊堂))。日蓮宗檀林講堂の遺構としては日本最古建築となる。
明治9(1876)年に檀林が廃止される。
明治29(1896)年に宗立第七教区小檀林が設置されるが、明治37(1904)年に廃止されて空寺となる。
大正5(1916)年に小学校の教室として1年間使用した。


歓喜寺(天台宗)から妙泉寺(日蓮宗):
徳治元(1306)年に、歓喜寺(天台宗)住職の実眼が、夢の中で、白い狐に乗った翁から「都に行き日輪の像を拝むよう」告げられた。
実眼は京の町で、辻説法をしている僧・日像に出会い、お告げのことと悟った実眼は、日像の教えを熱心に聞き、日蓮宗に改宗し、寺名を妙泉寺と改める。
全村改宗:
実眼は村人に改宗を拒まれたが、日像上人が講話を行うと、村人全員(470人余)が改宗したと伝わる。
全村改宗を喜んだ実眼が、題目を唱えると、村人たちが踊りながら唱和した。これが題目踊り(日本最古の盆踊り(京都市登録無形民族文化財))の始まりとされる。

送り火 : 妙
日像上人が、全村改宗を記念して、虎の背山の西山南面に杖で「妙」の字を書き、村人が周りの木を切って松明を燃やしたことが「妙」の送り火の始まりとされる。
火床は103基、字画ごとに受け持つ町が決まっている。
送り火 : 法
妙泉寺の末寺の下鴨大妙寺の日良上人(江戸時代)が、虎の背山東山に書いたと伝わる。
火床は63基、火床は(町でなく)各家ごとで受け持ちが決まっている。


コメント