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(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾【綴喜郡井手町】

(大安寺旧境内附)石橋瓦窯趾:平城京に都が造営され始めると現在の南山城地方、平城山丘陵より北は、瓦の生産拠点となり、この地方では50基以上の窯跡が見つかった。その中で、南都七寺といわれる奈良の大官大寺(大安寺)の平城京創建時の瓦が発見された...
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宮本水車【綴喜郡井手町】

宮本水車(橋本水車):江戸時代の文化年間(1804-1818)に宮本喜左衛門が水車を造る。その後、明治時代に水車を利用する仕事(水車生業)の許可を京都府が与える。宮本家がこの水車で搾油・精米・製粉を生業として従事し、里人の便宜をはかり、喜ば...
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六角井戸【綴喜郡井手町】

六角井戸:奈良時代の左大臣橘諸兄の別荘の井戸と伝わる。また、聖武天皇の玉井頓宮にあったのを移したとも伝わる。橘諸兄は、井手に住んだので、井手左大臣と呼ばれ、脇に、橘諸兄が聖武天皇を迎えた時に読んだとされる歌碑がある。葎(むぐら)はふ 賤しき...
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橘諸兄公旧跡の碑【綴喜郡井手町】

橘諸兄公旧跡の碑:橘諸兄の館の跡の石碑、橘諸兄の供養塔、奈良郡山市観光協会が植えた橘の木がある。橘諸兄は、西暦756年に引退し、757年に薨去(聖武天皇崩御の翌年)した。享年74歳であった。橘諸兄の死後の橘氏:天平勝宝9(757)年に、藤原...
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橘諸兄【綴喜郡井手町】

橘諸兄:敏達天皇の5世の孫であり、葛城王と称し、母(縣犬養三千代)の姓「橘」を継いだ。聖武天皇皇后(光明皇后)は異父妹にあたり、藤原不比等の娘を妻とした。歴史:天平9(737)年に、天然痘の流行し、藤原武智麻呂ら政権を握っていた藤原4兄弟が...
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玉川【綴喜郡井手町】

井手の玉川:水が清らかで古来より和歌に詠まれている。また、平成の名水百選に選ばれる。日本六玉川(むたまがわ):古歌に詠まれた全国にある六つの「玉川」の総称のこと。他に、 陸奥の野田玉川(宮城県)、武蔵の調布玉川(東京都)、近江の野路玉川(滋...
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二十六聖人関連施設【下京区】

「二十六聖人発祥の地」銘板(京都四条病院の跡地):銘板読みここから400m妙満寺町に1594年フランシスコ会のペトロ・パプティエスタ神父により聖マリア教会・病院・学校・スペイン使節館が建てられた。1597年2月5日に長崎で殉教した26聖人は...
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秦家住宅【下京区】

表屋造り:伝統的な商家表棟から奥へ玄関棟・住居棟・土蔵と続き、建物を坪(中)庭と座敷(奥)庭が繋げる形式である。明治2(1869)年に再建(1864年焼失)された。「表屋造り」の京町家(京都市有形文化財)で表構えが間口5間の大店タイプである...
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天使突抜【下京区】

天使突抜:五條天神宮(天使の宮)の敷地を貫通して道路が作られたことから、「天使の社を突き抜けて作られた」という意味で名が付けられた。京都の人々が、豊臣秀吉の強引な都市改造を皮肉って「天使突抜」と呼んだという説もある。「突抜」とは、既存の道の...
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膏薬辻子(こうやくずし)【下京区】

空也上人による供養:938年に高僧・空也(くうや・こうや)上人がこの地に道場を設け、念仏修行を行っていた。940年に天慶の乱で戦死した平将門の首が京都で晒された後、天変地異が相次いだため、空也上人が道場の一角に塚(京都神田明神)を建てて供養...