祭 神:
和気清麻呂、和気広虫、藤原百川、路豊永
社 歴:
和気氏の氏寺である神護寺の境内で清麻呂の霊社として祀られる(御法善神)。
嘉永4(1851)年に孝明天皇から正一位護王大明神の神階を授かり、明治7(1874)年に護王神社と改称、別格官弊社に列せられる。明治19(1886)年に勅命で現在地に遷座される。
和気広虫とは:
清麻呂の姉、京中の孤児を養育したことから「子育て明神」として育児の神として信仰
境 内:
霊猪像があり、「いのしし神社」とも呼ばれる。

争 乱:
和気清麻呂 VS 道鏡
どんなことか:
神護景雲3(769)年に法王になった道鏡が、宇佐八幡宮から「天皇になれ」との御神託を受けたが、和気清麻呂が偽りの神託であることを確認し報告した。
結果:
和気清麻呂は、別部 穢麻呂(わけべの きたなまろ)に改名され、大隈への流罪となった。途中暗殺されそうになったが、猪が守った。
また流罪の際に、脚の腱を切られたが、温泉療養の結果、帰京の際には、歩くことができるようになった。
宝亀元(770)年に称徳天皇崩御とともに道鏡は左遷、和気清麻呂は復職し、桓武天皇とともに平安京を建設した。

なぜ宇佐八幡宮の託宣なのか:
聖武天皇は、天平17(745)年の東大寺の大仏建立に際して、宇佐八幡神から協力の託宣を受けていた。
われ天神地祇(てんしんちぎ)を率(ひき)い、必ず成し奉(たてまつ)る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交(まじ)えて障(さわ)ることなくなさん
これが神仏習合のはじまり(神と仏が協力)と言われ、八幡神は後に「八幡大菩薩」と呼ばれるようになった。
八幡神の格上げ
宇佐八幡宮の権威が上がり、国家事業に神託を与えた神社、国家レベルの守護神へと昇格した。


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