一条戻橋【上京区】

その他

一条戻橋:

堀川に架けられている一条通の橋で、平安京造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋された。

名の由来:

延喜18(918)年に、三善清行(きよゆき)の葬列がこの橋を通った際、子の浄蔵(じょうぞう)が棺にすがって祈ると、清行が生き返り、父子が抱き合った、という故事による。 

一条大宮の戦い(応仁の乱):

細川派は勝元邸と花の御所を中心とした京都北部から東(東軍16万)に陣取り、山名派は京都西部を流れる堀川西岸に建てられた宗全の屋敷と京都中央にある斯波義廉の屋敷を拠点に西部と中央(西軍11万)に陣取った。
戦闘は両軍共に疲弊して戦線が膠着、義政の停戦命令が出され両軍は戦闘停止し、勝敗は決まらなかったが東軍は花の御所を押さえ、義政が勝元に将軍家の旗を与えた。
官軍と認めたことから東軍の有利となったが、山名宗全が周防・長門守護大内政弘に出陣を要請したことから戦争が拡大した。

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