レオン・パジェス(日本切支丹宗門史):
上下両京、伏見、大坂及び北国の五箇所の駐在所に七人の司祭と十人の修道士がいた。
公方様(徳川秀忠)は好意を持っていなかったが、さほど敵意を持っていたわけでは無く、大名でなければキリシタンになったところで別にかれこれ言わなかった。
公方様は神父の訪問が有ればこれを厚遇し、学識は仏僧よりもまさると見ていた。
関ヶ原合戦で徳川政権が確立
再びキリスト教の布教が自由となり、新しい天主堂が復興された。
(下京にあった)旧南蛮寺よりはるかに美しい建物といわれ、付近には学校も設けられたが、慶長17年(1612)に徳川幕府はキリシタンの大弾圧を開始し、天主堂も焼き払われた。慶長天主堂が建っていたのは、10年に足りない期間であった。

岡本大八事件(1612年):
慶長14(1609)年に、長崎港外で、有馬晴信がポルトガル船を撃沈した。調査に当たった本田正純の与力の岡本大八(キリシタン)は、有馬晴信から多額の賄賂を受け取って上申したことが判明した。
大八は獄中で厳しい拷問で
・家康の身辺にも多数のキリシタンが潜伏していること
・有馬晴信が長崎奉行長谷川藤広を暗殺する計画であったこと
を自白した。



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